ずっと歌うことが好きだった 寝ても覚めてもボイトレ思考―前夜②―

2020年10月26日

自分で自分を判断する基準

歌う事に嫌気がさし、そう思う自分にも嫌気がさし。
何のためにここまで音楽を頑張ってきたのだろう…。
そんな時、折しもはじけたバブル。
クラシックの世界は、平たく言えば「続けたもの勝ち」の世界。
裏を返せば、続けられる経済力がないというのは、ドロップアウトと同義でした。「お金をかけずに努力すれば良かったんじゃない!」という正論をぶつけてくるのは、クラシックの世界の一度も体験したことがない方ばかり。
その体験が、より私を殻の奥に閉じ込める事になりました。

バックグラウンド

本筋から少し離れますが、そもそもの前提をすこしだけ説明させて下さい。
もちろん、どこの家にも多かれ少なかれあるような出来事です。


クリモト家は、昼ドラの脚本になれるような家庭でした。
父には愛人が常に数人いて、母は紛れもない本妻ではありましたが常にその座を狙われる日々。そして、それを狙う人たちから実は母も「愛人」だと噂を撒かれ、私自身も「妾の子」という視線を浴びながら成長しました。

「戸籍謄本を首から提げて歩くわけにもいかないから…。」

戦わない事を選んだ母は、余裕があるように見えて徐々に病んでいきました。
決定的だったのは、私が小学6年生の時。

「カオルちゃん、お茶いれて。」

いつもの風景、いつもの朝。
何一つ疑いもせず、冷蔵庫からお茶のポットを出しコップに注ぎ母の前におきました。

「あんた…!このお茶、毒入れたやろ!!」

何もない普通の日々が一変した瞬間。
母の心の表面張力は崩壊し、不眠・被害妄想とある意味の王道をたどり、ついた診断が統合失調症。ここからは、怒涛でした。日々が怒涛すぎて、ドラマのワンシーンを切り取ったような形でしか記憶にありません。

その病状や何度も入退院を繰り返した経緯などは省きますが、そもそも一人っ子の私に過干渉気味だった母が、更に私に執着をするようになり、大学に通う頃には玄関で「どうして!?なんで行くの!?私を置いて行かないで!!」と毎朝のように叫び、縋られるのが定番に。

その頃には、歌う事よりも何よりも「こんな家から早く出たい、早く自立したい。」そう思うようになっていました。


そして25歳の時、一瞬、本当にわずかな時期、母が自分を取り戻したことがありました。

今だ…!

その当時付き合っていた彼の住む、京都へ。
上京区にあるとあるマンションへ引っ越し、一人暮らしを始めました。

求人情報誌を駅でかき集め、生活が成り立つ仕事を探します。
目に飛び込んできたのは、コールセンターの募集。
当時で、時給1200円。

奈良県で見かけたことのある時給は、高くて750円。下手すると600円台もあった頃です。しかも、コールセンターならば接客のように直接お客様と対面しない。
対人というものに疲れ果てていた私には、他の求人が目に入らなくなるほどの衝撃でした。

そして、面接。
コールセンターとしか書いていなかった仕事。面接の際、初めて詳細な業務が明かされました。

「消費者金融の、受付になります。もちろん、コールセンターなので対お客様はありません。」

消費者金融…!
業界に対するイメージは正直よくありませんでした。
とはいえ、テレビCMでは昼も夜も、駅伝やマラソンのタスキやゼッケンまでスポンサーとして大手の消費者金融業者の名前が翻っていた時代。

生活のため!せっかく一人になったこの生活を守るため!
一も二もなく決めた仕事でしたが、この経験が今の仕事に繋がる原点ともなりました。

移住・就職 そこで得たもの

派遣社員としてコールセンターで働きだして1ヵ月。
今まで知らなかった世界で、知らなかった価値観を沢山吸収できた期間でした。
初めて「word」や「Excel」を触ったのも、使い方を覚えたのもこの仕事でした。
けれども正直、自分でもいつまで続けられるか自信がありませんでした。
時給1200円というのは、やはりそれだけの負担(主に精神的に)がある仕事だと、実感しかない日々。

そんな時、課長から呼び出しを受けました。

「あのさ。この仕事、大変でしょ?だけど、1ヵ月続いたら3か月続く。3か月続いたら半年続く。だからさ、あと5か月後。入社半年後に正社員になることを考えておいてよ。3か月の時にもう一回確認するから、よろしく。」

気が付けば、同期で入った10人ほどのうち残ったのは私を含めて3人。
どんどん入れ替わる派遣社員を横目に、私は3か月続き、後3か月後の返事をしなければいけない時期になりました。

悩みました。
正直、ものすごく悩みました。
仕事がキツイ。同僚にもキツイ人がいる。何度も辞めたいと思っている。
不安で不安で仕方ありませんでした。そうなると、必死で辞めるための理由を探し始めます。


・そもそも、私がしたかった事なんだろうか?
・いつまでこの仕事を続けるべきなんだろうか?
・ここで私は正当に評価されるんだろうか?

悩む私に、(付き合っていた)彼が言いました。

「俺だったら、そもそも自分のフィールドじゃないところで何を評価されても一切気にしない。」

彼のフィールドは、(本来の)私と同じ「音楽」。
大学で知り合い、付き合って数年。彼にとっては自分の「音楽」を貶されなければ、あとは何を言われても「それは他人が見た一面であって、俺全体じゃない。」と言い切れる人でした。

「自分で自分を判断する基準を持つ」という価値観。いつも人からどう見られているか、陰で何を言われているか、ずっと気になって気になって仕方なかった自分にとっては、全てをひっくり返されたような衝撃的な、新しい、初めての感覚でした。

その言葉を胸に、課長に伝えました。
「正社員で、お世話になります。」

「よし!待ってた!」
そして派遣元に移籍金(50万円!だったそうです)が支払われ、私は派遣先の正社員となりました。


正社員になってすぐ、同じ課内で課長代理と主任が結婚。
そして、妻となった主任が異動となり、何故かその主任が持っていた「派遣社員と契約社員の面接・採用業務」という仕事が私の元に回ってきました。

まだ社員になったばかり。
ついこの間まで同じ立場だった派遣社員さんを、私が面接する。
「現場で指導して、一緒に仕事するのはクリモトさんだからね~。クリモトさんがやりやすい人、選んでいいよ。」
課長、そして部長に、さらっと恐ろしい事を告げられます。

喋り方はどうにでも教えられる。けれど、ビジネスマナーはまだまだ教えられるレベルじゃない。

思い立った私は、秘書検定を受験しました。
まず2級、そして準1級。

教わる人が、納得して教わることができる人材になろう。

研修を行う相手は派遣社員と中途の契約社員。
全員が新卒という横並びではなく、男性もいれば女性もいて、年上もいれば年下もいて。業界経験者もいれば、超絶お嬢様がなんでここに!?という人もいて。
そうそう、バックパッカーで流れ着いた人もいましたっけ(まさかの15年後にFacebookで再会しました)。

この時の経験が「ひとりひとりに分かるように伝える」という考えの下地になりました。

結婚・出産・出戻り・離婚

このあたりはプライベートすぎるのでさらっと参ります。
はい、前述の彼と結婚をし消費者金融の仕事も退職。間に短期の派遣社員を挟んで、出産し専業主婦になりました。

しかし、サラリーマンに向いてない!音楽をやりたい!けど仲間が見つからないから朝までゲーム!昼まで寝る!お金ないけど何とかなるよな!

ってなるかー!!!
というわけで、10年付き合って結婚した相手と2年で離婚。
(これも調停→裁判となかなか大変でした)

長男と長女、ふたりの子を抱え、あれほど出たかった実家へと帰ることになりました。本来であれば、実家ではない場所を借りて子ども達と3人で住むつもりでしたが、離婚裁判を有利に進めるため(親権の確保)に実家を選ぶ事に。また、私自身が「親」になったことで、改めて「母」と向き合おう、というより「決着をつけよう」と覚悟を決めたという事も大きな要因でした。

この後、母との決着の話…は長くなるので割愛します。
それよりも何よりも、実家に戻り3か月後、長男である息子の障害(自閉症)が判明したことで、事態はゆっくりと確実に、大きく動き出しました。

③に続きます

栗本 薫 ボイスデザイナー

栗本 薫 ボイスデザイナー

「声はあなたの武器になる」 という理念のもと「姿勢・呼吸・発声・発音・話し方」の5つを柱とした「ボイスデザイン」を提唱。 声楽・司会・ウグイス嬢などを通じて、声の勉強・トレーニングをし、その人・その場に合った声を見本として見せる指導が出来る。 企業研修をはじめ、経 営者や議員、講師などの「声の指導」にも力を入れ、数多くの「話す悩み」を解決。 「どの話し方講座より、ここに最初に来るべきだった」「発声や発音をこんなに分かりやすく教えて貰ったのは初めて」と評価を得ている。

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