明るいオカンの作り方

出来る事なら

 

講師・司会・プレゼン対策 伝わる声を作る 登壇者のためのボイスアドバイザー&明るいオカンの栗本です。

 

日曜の雨はなんだったんだ!?と思うほど今日は良いお天気(むしろ暑い!)の大和高田市。
4月に体調を崩した影響で、諸々の用事が消化できずにバタバタしながら迎えた本日。

 

総会での承認を得、息子の通う養護学校のPTA会長をさせて頂く事になりました。

 

息子の通う養護学校で、学級委員、地域委員、本部役員と経験してきました。
娘の通う地域の小学校では学級委員を一度させて頂きました。
思い返せばここ5年間、毎年なにかしらの委員をしていた事になります。
そして、あと数年この委員・役員生活が続きます。

 

ここまでPTA漬けだと、そりゃあ「あの人は目立ちたがりだ」とか「委員やりたいタイプの人」と思われても仕方ない状況ですよね(笑)

 

どうしてここまでPTAをやるのか?
ここに少しトラウマがあります。

 

 

昔々私が小学生だった頃。
母はPTAに一切出てこない人でした。

理由は様々ありますが、とにかく参観以外一切顔を出さない人でした。
(これはその後の中学、高校も同じでした。)

 

「コイツになんかしても、どうせ親が出てこないからいいか。」

 

そんな感じがあったと、後に聞きました。
小学校時代にには正直良い思い出はありません。

 

6年生のあるホームルーム。

 

「今日は栗本さんの悪いところをみんなで黒板に書いていきましょう~!」

 

先生の声が教室に響きます。

 

クラスに味方は誰もいません。

 

 

今でこそ明るいオカンです。
小学生の頃は、何度も屋上に立ち、死ねば楽になれるかもと思い続ける、子どもでした。

 

 

 

親の影が薄いと、こういう形で子どもに不利益がかかるのかと、成長過程で理解をしました。
中学高校は私立だった事もあり、母が出てこれない理由を私が先生に説明し、理解をして頂きました。

 

 

中学校に入ってしばらくしたある日、偶然駅で6年生の担任とバッタリ出会いました。

 

「あんたいまどうしてるのん?」

 

聞かれて、答えました。

「中学校に併設の音楽教室に合格して、通っています。」

 

目を大きく見開いた先生の次の言葉は

 

「まだ音楽なんかやってんのん!?へぇー!!」

 

 

何をしても否定される。
卒業してもそれは変わりませんでした。

 

いじめから逃げるためにした中学受験。

 

 

今、私が卒業したその小学校に、娘が通っています。
学年が変わり、担任の先生が変わるたびにこの件を話しました。

 

 

「あのころは時代もそういう時代だったのだと思います。
きっと先生は、そんな事はされないと思いますし、ありえないと思います。
ただ、一切の声を封殺した、この小学校の体制を、何十年経ったとしても私は信用していません。」

 

と。

 

 

 

 

出来る事なら、誰だって仕事の合間に必死でPTAをやるなんて大変な事、避けたいところだと思います。
意外と関われば、情報を得られたり、何かと成長できる機会になったりすることもたくさんあります。
実際、息子の学校のPTAにこれだけ関わるというのは、まさに子の将来のための情報収集と、日頃息子をよく見て下さる
先生方へのご恩返しに他なりません。

 

 

その中に、私の「親が関わらなければ、子どもに不利益が…」というトラウマの成分も、ちょっぴり混じっています。

 

 

時代に合わせて、活動も変わってきました。
これからも変わっていくでしょう。

 

 

仕事をしている私の為に、本来会長が持っていたたくさんの仕事を、色んな役職の方に振って下さった前会長。
そのために、膨大な資料をまとめて「これさえ見ればわかる」状態にまでして下さった前副会長。

 

今までの活動にかける想いを感じつつ諸先輩ママさんが頑張ってこられた活動を、踏襲しながらも変化を受け容れる。
そんな活動にしていきたいと考えています。

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