明るいオカンの作り方

【おかんな日々・この人のここがすごい】死ぬときぐらい好きにさせてよ

 

何をどこからどう書いたら良いものか…。

普段は芸能関係のニュースはスルーします。
芸能人の誰が不倫しようが、だれが捕まろうが、自分の生活に直接の関係がなければ特に気になりません。

 

ただ、今回ばかりは違います。
というより、積み重なっての今回…なのかもしれません。

「平成最後の年」

そんな風に銘打って、いろんなイベントが開催されました。
そんな中、その平成最後の年にたくさんの著名人が旅立たれました。
下記は、お亡くなりになった方のごくごく一部の方々。
私の人生の中のどこかで、深く印象に残った方々です。

 

星野仙一さん
有賀さつきさん
田宮榮一さん
大杉漣さん
左とん平さん
瀬戸口清文さん
月亭可朝さん
衣笠祥雄さん
朝丘雪路さん
西城秀樹さん
小島武夫さん
桂歌丸さん
浅利慶太さん
常田富士男さん
津川雅彦さん
菅井きんさん
さくらももこさん
麻生美代子さん
樹木希林さん
山本徳郁さん

 

津川雅彦さんは、私が大好きだった大河ドラマ「徳川葵三代」の時の演技が忘れられません。

桂歌丸さんは、笑点での掛け合いや、落語の語り口が本当に大好きでした。

色々、思い出すことはたくさんあります。
皆さんご高齢であったり、病魔と闘ってらした中での訃報でした。

ただ、樹木希林さんだけは、まさか亡くなるとは思っていなかったんです。
もちろん、全身がんも含めてずっとお身体が大変なのは、ロケやインタビューを拝見するたびに感じていました。
それでも、「樹木希林」という人が亡くなるということを信用していなかった、したくなかったという思いが強いのです。

「樹木希林」という人

俳優としての素晴らしさは、今さら語る事でもありません。
「誰にもなしえない役」を数々なしえてきた樹木希林さん。

たとえ死体役をされたとしても。
たとえ死生観を語られたとしても。

樹木希林さん死去 「死をどう思うって? 死んだことないからわからないのよ」生前、死生観を語る【前編】

https://dot.asahi.com/aera/2018091600017.html?page=1

樹木希林さん死去 「生きるも死ぬも、面白がらなきゃやってられない」生前、死生観を語る 【後編】

https://dot.asahi.com/aera/2018091600018.html?page=1

 

樹木希林さんらしいな、と感じるインタビューですが、それでも死期が近いとは感じませんでした。

 

「(取材にくるとき)手土産は絶対に持ってこないで」って言ったけれど、それも毎回必死よ。
「くれないで」って。だってお菓子を持ってこられたら、包装紙を開いて、箱を開けて、それをまた畳んで資源ごみに出してって。
すごく手間じゃない。私は自分が食べたいケーキがあったら買いに行って、「箱はいりません」ってティッシュに包んで帰るの。
映画会社が「ポスター、送ります」なんて言ってくることもあるけど、それも「送らないでください」って。切ってメモ帳にするの大変でしょう。

(AERA お悔み 記事より引用)

 

シンプルに生きるとは

お菓子をいただいたからと言って、包装紙をたたまずにくしゃっと捨てることもできる。
箱もたたまずに適当に捨てることもできる。
ポスターも折りたたむなり破るなりして捨てることもできる。
FAXも、インクや紙の交換を誰かに頼むこともできる。

それを、良しとしない。
病気になってから、自分の周りを身軽にしようと思ったとの事。
これはむしろシンプルに生きるというより「丁寧に生きる」というのではないかと感じました。

 

包装紙も箱も、「燃えるゴミ」ではなく「資源ごみ」として自ら出しに行く。
ケーキを買いに行っても、箱も袋も断りティッシュに包んで持ち帰る。
いらない紙は切ってメモ用紙にする。
FAXに送り状はいらない、A4一枚でまとめてくれないと、紙とインクリボンの無駄であり交換が手間。

丁寧に生きるために、無駄を省く。
それがシンプルに生きることにつながる。

 

昔、母方の祖父が裏白の広告をためて、それに相撲の番付表や星の数、高校野球の対戦成績などを表にして書いて楽しんでいたのを思い出しました。
祖父も余計なお金を使わずに、丁寧に生きていたんだなと。

 

近年、リサイクルがいろんな形で叫ばれ、推進されています。
もしかすると、モノを消費するように、人間というのもの消費されているのではないか。
一発屋芸人という形で売れては消えていく(その一発を当てるのはなかなかすごいことなのですが)。
いろんな歌手やグループが生まれては、加入し・脱退し、消えていく。

入る情報量が多いからこそ、忘れることで生き方をシンプルにしているのかもと、斜めから考えてみたりもしてしまいます。

 

自分は弱い人間

「自分は弱い人間だから、強い内田と一緒になった。」
「自分は弱い人間だから、自分で命を絶つことだけはやめようと生きてきた。」

こんな姿になっても…若者へメッセージ

 

どちらのセリフも、最近の記事(違う記事です)で見かけました。
我々から見ると、芯を持った、強い人にしか見えなかったのですが、ご本人はご自分を「弱い」と表現。

 

これこそ、まさに主観の問題なんだな、と。
樹木希林さんという人が言うからこそ「ほかの人と比べる必要もない」そう強烈に訴えかけられている気がするのです。

 

また、フジカラーのCMで有名なコピー。

「美しい人はより美しく そうでない人はそれなりに」

これも、当初は後半部分が「美しくない人も美しく」だったそう。
その日本語表現に引っ掛かりを感じた樹木希林さんが提案したのが

「そうでない人はそれなりに」

この紙一重の気遣いで、今でいう「炎上案件」から「名キャッチコピー」になったのだと感じます。

 

死ぬときぐらい好きにさせてよ

宝島社の企業広告として世に出された1枚のポスター。

ジョン・エヴァレット・ミレーの名作「オフィーリア」をモチーフとしたこの広告。
ご本人は「生きてるうちから好きにしてるから」と「死ぬ時ぐらい」という気持ちではなかったそう。

衝撃的なコピーの下にある文。

 

人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進歩して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです

 

死は特別なものではない。
悪いものでもない。

それを伝えていくのも、役目だと。

 

当たり前ほどむつかしい

普段生活する中で、毎日幾度となく遭遇する「当たり前」。
これを日々続けることこそが、本当に「丁寧に生きる」ということなのだ、と改めて感じます。
私の幼いころには想像もしなかった大きな災害が一気に起こる昨今は、当たり前の日常が当たり前でなくなっていることを教えてくれます。

だからこそ

全力でなくてもいい。
ほかのだれかと比べなくていい。

「自分は弱い人間だ」
この言葉を卑屈に解釈せず、大きな宇宙の中では小さな小さな塵芥のような存在なのだと理解する。
ただそれだけで、他者を思いやり明日を紡いでいくことができるのではないか。

 

彼女の生きざまから学ばせていただいた事を、忘れず生きていきたい。
そう胸に刻み、ただただお悔みを申し上げご冥福をお祈り申し上げます。

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