5年前の今日、起業(登記)しました
5年前の12月24日。その日は、年に数回しかないという「天赦日」でした。
司法書士の先生にお願いし、その日の午前中に登記をお願いし、「株式会社のぎす」は誕生しました。
あれから、5年。
もう、5年。
スピンターンにジェットコースターにフリーフォール並みに色々ありましたが、気がつけばあっという間でした。
最初は「ころりんスライダー」
そもそも、のぎすは「将来の障害者雇用の一端を担いたい」という思いからスタートしました。
社名の由来は工具の「ノギス」。
5/100mmまで測れる精密な測定機器であること、そして測定の際にジョウと呼ばれる部分が測る物をを挟み込む様子が、まるで「寄り添う」ように見える事から「あなたのニーズに出来るだけ正確に寄り添いたい」という意味を込めました。
創業補助金事業の採択を受け、発売当初から受注もあり、順風満帆な船出…のハズでした。
実際には、大阪の工場で作った製品は全て瑕疵ががあり、販売したものは全台交換。
この少し前「勝手に独立した!」と怒っていた父は、大阪工場に電話をかけ
「薫と取引きするな!」
と、言っていた事が後日に判明しました。
(私が失敗して泣いて帰ってこないと困る!と母に本音を漏らしていたそうです)
そんな事でめげる私でもなかったので、次の工場を模索。
そして、群馬県の工場で新たに製作する事になりました。
本当に親身に話を聞いて下さり、聞くとその工場で製作した型で3,000台は軽く脱型できるとの事。
嬉しくて、1日24時間中20時間運転した(依頼時に車で往復しました)のも忘れるほど、舞い上がったのを今でも覚えています。
時は流れ3年後。
300台ほど製作した時点で、型が壊れたので製作ができないと工場から通達。
間に色々ありましたが(ここは割愛します)、結局別の工場で製作するにも新しい型が必要で。
今から1,000万単位の投資はできないという判断から、ころりんスライダーを一旦諦める事になったのが今年の4月の事でした。
ボイトレを、表舞台に
ころりんスライダーが作れなくなり、このまま廃業か…と悩んだ時
「何言ってるの!まだまだ薫さんには出来る事がある!!」
と、背中を押してくれた友人達がいました。
私に何が出来るんだろう?と、毎日悩みました。
「例えばアレは?コレは?今表に出してないメニューが何かあるでしょ?」
そう、次々と可能性を示してくれたのは、いつものぎすの貸し会議室を利用して下さる長野ゆかさん。
こうして「株式会社のぎす」に加え「栗本薫オフィシャルサイト(現ボイスデザインオフィス)」が完成。
制作者は、親身に話を聞いてコンサルをして下さった今城裕実さん。
他にも
「栗本さんとはこういうお仕事が一緒にできると思うんです!」
といつも前向きに話を振って下さる大前和彦さん。
「大丈夫やって!プレリ出して頑張っていこ!!」
へこたれる度にお尻を叩いてくれる福西奈々子さん。
「薫ちゃん、ちょっと手伝ってよ」
そういって、新しい可能性を示して下さる司会の大先輩であるYさん。
「社長、ちょっとこんなイベントあるんですよ。あと、この相談会どうですか?」
気にかけて、ちょくちょく覗いて下さる奈良中信の担当さん。
書ききれないほど、色んな方に助けられ、支えられている事を改めて実感した1年(5期目)。
そして、音楽の道を志し半ばで諦めた私でも、その知識や経験は確実に自分の中に蓄積されていたんだと、自分自身を再発見した1年でもありました。
のぎすは、発展途上です
もしかしたら、またころりんスライダーを再開できる日がくるかもしれない。
けれど、今は出来ることをやって、会社を維持していこう。
こう、前向きに捉えられるようになった5期。
作るだけ作ってほとんど稼働していなかったLINE@も、気がつけば登録者数100人を目前に控えた状態に。
今は公式として認証も受けることができました。
前述のYさんが、今日所用で事務所を訪ねて下さいました。
「今日、5周年記念日なんです」
ぽろっと言った一言で、すぐにケーキを買いに走って下さいました。
「お祝いしよう!!」
Yさんとふたり、ささやかに5周年をお祝いしました。
記念式典や、記念パーティーが開けるほど大きな会社ではありません。
ただ、日々を積み重ねて、のぎすに関わって下さる皆様に誠実に対応していきたい。
ころりんスライダーを作るぞ!と決めた時ほどの大きな理念は、今はないけれど。
前に立つ方、社会に出る方、話す(声を出す)ことが職業の方のお役に立てるスキルはある。
ここまでも色んな方に助けて頂きました。
その感謝を忘れずに、これからも日々精進していきたいと思っています。
私が出来ることを、ただひたすらに。
あなたのニーズに、寄り添うために。
2018年12月24日 株式会社のぎす 5周年の感謝をこめて。