明るいオカンの作り方

どうして私が!?(私の子が!?)

 

今日は雨が降ったりやんだりの大和高田市です。
涼しいのか、寒いのか?この時期着るものにも困りますよね。

 

 

当たり前といえば当たり前ですが、障害児を育てていると大変です。
実は定型発達児も、子育ては大変なのですが、やはり「皆と違う」という感覚は
「大変さ」をより増幅して「体感」する要因な気がします。

 

 

診断されてすぐは、まずその事実を受け容れられない。
そして「どうして私がこんな目に!?」と責任を外に求めるようになり
「私の何が悪かったんだろう…」と内省しすぎて鬱になりそうになる。

 

 

多かれ少なかれ、そういった感情や思考のゆらぎを経験してきた親御さんが多いと思います。

 

「どうして私が!?私の子が!?」

 

 

最初にそうなるのは、仕方のない事だと思います。
年月が経つにつれ、「この子は私を選んできてくれたんだ」と思えるようになりますが
診断直後はそうもいきません。

 

ところが、周りはそのセリフを「慰める」つもりで言ってくれるのです。

「その子はあなたを選んで生まれてきたのよ。」
「そういう子を育てられる家にしか、生まれてこないのよ。」

 

 

悪気がないのは重々承知の上。
ある程度受け容れが出来るようになれば
「ですよね~」
と言える事ですが、最初にそれを言われると
「うちが選ばれなくて良かった」と相手の言葉を裏読みしてしまい、頑なに「我が子の障害を認めない」親御さんになる場合があります。

 

 

よく鬱の人に「頑張れ!って言っちゃいけない」っていうのがありますが、まさにそれです。
「私を選ばなくても良かったでしょ!?」とより意固地になる可能性も否定できません。

 

 

 

そして、中には「あの子よりは(障害の程度が軽くて)マシか…」と思うようになる人も。

誰かよりマシ。
あの人(家)よりかは。
あの子よりかは。
まだこれくらいでよかった。

 

 

実際に面倒を見る(支援する)親としてはそう思う瞬間があると思います。
そして、それは見事な「親目線」でしかありません。

 

 

気が付くと、それが「あの子より障害程度が軽いはずなのに、どうしてこれがまだできないの!?」に変化する事もあります。

 

 

そう。
「どうして私が!?」
の時点で、すでに他人と比べている自分がいます。

 

 

天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。

 

 

その子が、あなたのところに生まれてきたことには、意味があるかもしれませんし、ないかもしれません。
(意味があると思った方が、モチベーションの向上にはなりますし、私個人は意味があると思っています。)

 

 

 

理由はどうあれ、私のところに生まれて来てくれたんだ。
と、受け容れる事ができるように。

障害児を育てている親御さんに、無駄なプレッシャーをかけず
その親御さんも、わが子と誰かを無駄に比べない。

 

 

「あの子よりマシよね!」
なんて思っている親の事を

「どうしてこんな親の子に!?」
と、子どもに思われる結果にならないように、親も日々成長なのだと思います。

関連記事

TOP