明るいオカンの作り方

使わない言葉

 

晴れたり曇ったり、そして風の強い一日でした。

今日はお昼前に、PTAのお仕事で事業所さんへご挨拶に。
一緒に行って下さる、熟練の本部さんがすごく楽しい方で、いつもお会いするだけでワクワクします。

 

 

いつも栗本が使わないようにしている言葉として

 

「でも」

「だって」

があります。

 

他にも、出来るだけ使わないようにしているのが

 

「裏切り者」

 

です。

 

「期待を裏切る」といった使いかたをする事はありますが、誰か人を指してそう言い切る事はまずありません。

 

ブルータス!お前もか!!
的な。
本当に生死を分けるような場面や、人生が変わるような場面でしか
本来使わないものだと思っています。

 

 

なので、娘にも安易に人に対して「裏切り者」とか使わないようにといつも伝えています。

 

 

 

そして、最近は「自己肯定感」という言葉に何か違和感を感じるようになりました。

 

 

自己肯定そのものを否定したいわけではなく。
恐らく「言葉」そのものではなく「使い方」の方が気になるのかもしれません。
なんというか「濫用」されすぎて、目につきすぎてしまっている事も原因のひとつだと思います。

 

 

では、「自己肯定感」に替わる言葉はなんだろう?と考えてみました。

 

自己肯定の反対は自己否定。
「自己肯定感」はよく聴きますが「自己否定感」は今のところ聞いたことがありません。

 

考えていたところ、とある記事が目に入りました。

「自己虐待(セルフネグレクト)」

生きる事に執着がなくなり、ゴミ屋敷になってしまったり、世間と上手くやっていく事を放棄したりする事を指すそうです。
「自傷行為」とはまた違うものなんだな、と調べて認識しました。

 

では自己虐待の反対はなんでしょう。
これまた調べてみました。

 

虐待 ⇔ 愛護

 

虐待の反対は愛護。
ということは自己虐待の反対は「自己愛護」となります。
「防衛本能」的なものとはまた少し違うのかもしれません。

 

 

ここまで調べた時点で、「自己肯定感」に替わる言葉(あくまでも自分の中で)が、まだ見つからず。

 

 

 

うんうん唸って考えてみました(仕事しろよ!と周りからツッコミが入りそうです)。

 

 

 

自己納得、自己公認、自己認定、自己免許皆伝…。

 

 

だんだんズレてきました。

 

 

 

そういえば、昔友人から「かおるは自分を卑下しすぎや!!次に私なんか~って台詞吐いたら、殴るで!」
と言われた事を思い出しました。

 

 

ちなみに、卑下という中に自己が含まれるので、「自己卑下」とは言わないそうです。
「卑下」の反対は、「尊大」。
尊大はおごりたかぶること、という意味だそう。

尊大…ってダメじゃん!!

 

 

と、ここまで来てやっとひらめきました。

 

 

 

「自己尊重」

 

 

 

これだ!!

 

 

 

尊重 ⇔ 無視 「尊重」の反対は「無視」

尊重は、尊び重んじること。 無視は、価値を認めないこと。

 

 

 

自分自身を尊重する事で、他人をも尊重し、大事に人生を送る事ができる。
自分に背を向けて(無視して)、自分の価値を認めない事は、他人の価値をも認められなくなるという事。

 

 

 

すっきり!!(これは、自己満足)

 

 

 

息子は、多様性を認めて伸ばしてくれる学校(支援学校)へ通っています。
で、あれば。
その親も「多様性」があるわけで。

 

それぞれの多様性を「自己尊重」した上で、他人の多様性についても「尊重」する。

 

よく「相手の立場を想像する事が重要」とお伝えしていますが、それがまさに「尊重」なのだ、と。
子育て中に関わる方には、本当に色んな方がいらっしゃいます。

 

「合う」「合わない」でバッサリ切り捨てるのではなく、如何に相手を尊重して、一緒の空間を過ごす事が出来るか。
(中には、本当に無理っていう場合も、あったりはします、はい。)

 

というわけでっ。

 

色んな人の話を聴いたり、経験を分かち合う、KissA-きっさ-の下市バージョンが初開催となります!!
お時間の合う、お近くの方は是非お越し下さいませ♪

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