明るいオカンの作り方

昔むかし、あるところに

 

おかんな日々、番外編。
まだ栗本が「おかん」になる前のお話です。

 

FBで自己紹介を見て下さっている方はすでにご存じのとおり、今でこそ株式会社の代表をしている栗本ですが
昔は音楽の道を志した、ひとりの少女でした。
今や「少女」なんて言ったら「大女(主に横幅)の間違いやろ!!」というツッコミが飛んできそうです(笑)
昔はね、昔ですよ、ええ。

 

小さい頃なりたかったものは「歌のおねえさん」。
NHKのおかあさんといっしょの、あのおねえさんです。
歌うのが大好きな子供でした。

 

ちなみに、当時の母の計画では

まず

①うたのおねえさん

引退して
②NHKのアナウンサー(NHK限定)

その後退社して
③オペラ歌手

最後に
④歌って踊れる主婦

 

になって欲しいと思っていたそうです。
期待しすぎ!!(笑)

 

そんな大きな期待を背負った栗本。
その後夢が叶ったか?と言いますと…。

 

 

 

 

どれひとつ叶いませんでした!!(どーだっ!)

 

 

 

 

威張る事じゃありません。はい。
3歳から10年間、バレエを習いました。
小学2年生からピアノも習いました。
中学から音楽教室が併設されている学校へ受験して行きました。
高校音楽科、大学も音楽科。専攻科(大学院になる前に学校に設置される1年の課程)も音楽科。

 

 

ずーーーっと通して音楽(声楽)の道を志しました。

 

 

が、プロになれず。
アナウンサーにもなれず(そもそも就活すらしていません)。
うたのおねえさんにもなれず(そもそも体格で無理があります)。

歌って踊れる主婦…に一瞬なったものの、現在はシングルマザーの兼業主婦。

 

もはやすがすがしいくらいなにひとつ叶っていません(笑)

 

 

ところが。
会社を立ち上げて、司会のお仕事を頂くようになりました。
(昔、葬儀司会をしていました)
講演会の機会を頂くようになりました。

アナウンサーにはなれなかったけれど、マイクは持たせて頂けるようになりました。
人生ってどうなるかわからないもんだなーと、この年になって実感します。

 

 

歌のプロになれなかった事が、ずっとコンプレックスでした。
親の期待に応えられなかった事で、ずっと自分を縛りつけていました。

 

今は、新しい目標に向かって日々を過ごしています。
ホント、人生って分からない(笑)

 

障害児を育てていて、改めて思います。
「正しい」なんて生き方は無いんだと。
こうしなければならない、ああしなければならない。
そんな重い思いを全部取っ払って、自分の求めるものや、求められているものを感じて生きる。

 

夢も、アップデートできるんだ!と感じた今日この頃です♪

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